いつからか「毒親」や「親ガチャ」という言葉が、SNSでも日常会話でも、当たり前のように使われるようになりました。
2021年には「親ガチャ」が流行語大賞のトップテンに選ばれた。
一見ユーモラスな響きを持つ「親ガチャ」は、もしかすると「毒親」よりも角が立たない言い方なのかもしれない。
でも、私は思ってしまう。
本当に、親を“ガチャガチャ”みたいな運試しで語ってしまっていいの?
「当たりだった」「ハズレだった」
そんな言い方で、私たちはいったい何を手に入れようとしているんだろう?
SNSでは、そうした言葉が、もはや“自分の苦しみを説明するための便利なツール”のように使われている。
誰もが軽やかに言葉を使い、タグをつけ、ストーリーとして拡散していく。
それは共感を得るには効率の良いやり方なのかもしれない。
でも、その軽やかさの裏にある、言葉がもたらす影響力の大きさについて、私はどうしても無視できない。
そんな思いでブログを始めました。
ほんの少しだけでいい。
立ち止まって、考えてみませんか?
あなたが今、当たり前に使っているその言葉が、
誰かの心を切り取ってしまっていないかどうかを…。
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