自尊心とは読んで字の如く、自分を尊ぶ心。
“自分を尊ぶ”という感覚は、誰かがまず自分を尊んでくれた経験があって初めて、内側に芽生えるもので、人間が元々持っているものでも、自然に出来上がるものでもないと思う。
親や周囲の大人たちが無条件に愛すことによって、子供の自尊心という心が育まれる。
「その役割をするのが親です!」
私のように、物心ついた頃から父親は不在で、
母親は毎日不機嫌で、自分が如何に不幸かを私に愚痴り、まだ小学生の私に、「産まれて来ても育てられないから、海に入って流産させようとしたけど、アンタは産まれて来た」とか、
「生活が苦しいから、何度も私を連れて死のうとした」とか、そんな話を聞かされると
私は母に苦労をかけてる
自分は居ない方が良い
母に嫌われてるんだと、そう思い込んでも全く不思議ではない。
母親を苦しめてると思っていた私は、両親が正式に離婚すると決まった時、それまでの10年間で、殆ど一緒に過ごしたことのない父親の方に着いて行く決心をした。
でも、その私の決断は、母親にとってはショックだったらしく、母親の友人が、「お母さん一晩中泣いてるよ!どうしてもお父さんの方に行くの?」と言った。
『え?何で泣くの?私のこと邪魔にしてたのに…』
母と別れて父親と暮らし始めたものの、父親はまたすぐに家に帰ってこなくなり、私は継母と二人で暮らすことに…(継母は私を引き取りたくなかった)
でもその生活も一年半程で、二人ともある日突然失踪した。(一度目の失踪)
母親からは、私を捨てた娘と何十年も罵られ続け、父親は行方不明。
こんな私に、自尊心など育つはずがない。
親からたくさんの愛情を貰って
私は居ていいんだっていう安心感の中で育った人は、自尊心という心の器が自然に育まれているけど、そうじゃない私は、その器そのものを自分で作りながら生きなければならなかった。
それが、ものすごくしんどい…。
最初に書いたように、自尊心は誰かがまず自分を尊んでくれた経験があって出来上がるもの。
それを後から自分で作ろうと頑張っても、せいぜいそれは自尊心の代用品。
後付けの自尊心に過ぎない。
それは脆くて、何かの拍子にすぐ壊れて使い物にならなくなる。
所詮はハリボテの自尊心なのだ…。
「私は、努力や成果で埋めようと”構築された自尊心”は、本来の“自然に育まれる自尊心”とは決定的に違うものだと思っている」
「自尊心が育まれることなく過ごして来た人は、
自分が存在することに罪悪感すら抱えている。
どこかで自分が幸せに生きる権利が与えられなかったような気がして、自ら苦難を選んでしまう。
何故ならそれが、自分の存在価値を証明する道になってしまってるから。」
「幼少期の環境が人格形成にどれほど重要かを、親はしっかりと認識して欲しい。」
もう私は、今更親を責める気持ちは持っていないけど、自尊心を持たずに生きることがどれだけ苦しくてしんどいことか。
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