親は100%毒だったのか…

流行には必ず仕掛け人がいる/その言葉は誰が流行らせた?

「流行」と聞くと、まずファッションを思い浮かべる人も多いだろう。けれど、流行とは洋服に限ったことではない。言葉にも、流行がある。

「うざっ」「マジで」「それな」「だるっ」……こうした口語表現がいつの間にか世代を超えて定着していくのは、自然なようでいて、実は誰かが意図的に広めたからかもしれない。テレビ、雑誌、SNS。
必ず仕掛け人がどこかにいる。ファッションと同じように。

だから私は思う。「毒親」という言葉がここまで定着したのも、偶然じゃない。これほど強く、鋭く、キズナを断ち切るような言葉が、あまりにも軽々しく使われている現状に、違和感を抱かずにはいられない。

ほんの小さなすれ違いや誤解、過去の一場面だけを切り取って、「うちの親は毒だった」とラベリングしてしまう。その言葉を使うことで、関係を終わらせることに、何の躊躇も罪悪感も抱かなくなっているように見える。

本当に犯罪レベルの虐待を受けてきた子どもたちは、むしろ声を上げられずに苦しんでいるという事実。親に捨てられても、殴られても、それでも親の愛を求め、気に入られようと必死に生きてきた。そういう子ほど、「毒親」という言葉を使えず、親を切り捨てるという発想すら、持てなかったりする。

一方で、「教育を受けさせてもらった」「最低限の生活が保障され不自由なく育った」そんな人が、過去のわだかまりを拡大解釈して、自らを“被害者”として語る。それが悪いとは言わない。けれど、その背景に「流行の言葉に踊らされている」可能性がないか、立ち止まって考えてみる必要があると思う。

いつの時代にも、親子や家族間の問題はあったはず。けど、昭和の時代には、話し合うことで解決に導こうとしていた。昭和を理想化するつもりはない。時代は変わるし変わって当然だ。
けれど、その『変わり方の質』に、私は危うさを感じている。誰がその流れを作っているのか?
それはマスメディアではないのか?

今や、家族間での対話すら面倒だと切り捨て、親を「毒親」と決めつければ、もう向き合う必要がなくなる。そんな便利なラベルが蔓延した社会で、私たちは何を失ったのかさえ、気づかずにいるのではないか?
これでは、日本人が思考停止していると言わざるを得ない。

腐敗した政治。それを選んできたのは他でもない私たちだ。気づけば日本はインドにGDPで抜かれ、世界五位に…
これは日本人の思考停止が続いた結果ではないのか?

日本社会が壊れて行く
家族が壊されて行く
言葉が壊している
言葉が壊れている

私たちはもっと、自分の頭で考える習慣を持つべきだと思う。
そして、その言葉が”バズる”裏側に目を向けて疑うべきではないだろうか?

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