『毒親と呼ばないで』

親は100%毒でしたか?

私の命を支えてくれた”まな板の音”

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親がまた失踪した

トントン…。トントントントン…。
まだ街は動き出していない。
早朝の静かな空気感の中にまな板の音が響く。
包丁が野菜を切るたび、木のまな板の優しい音が跳ね返る。
その音は、誰かが大切な家族のために朝ごはんを作る証だった。

忘れたくても忘れられない出来事。

18歳の夏

物心ついた頃から父親らしいことは一切してくれなかった、その人が私の名義で借金をした上に、私の貯金(アルバイトをしてコツコツ貯めたお金)を勝手に引き出して逃げた。

それまでも、何度も、一万円貸してとか言いにきて貸してた。

失踪するのはこの時で3回目だ。

私は、仕事も住まいも失って、行き場を失ったけど、友人の知り合いが所有する、湿った畳と剥がれかけた壁紙の、ボロボロの古いアパートを借りて、とりあえず、雨露は凌げた。

エアコンもなく、部屋の隅ではゴキブリが小さくカサカサと動き回り、お風呂場は蟻が行列を作っていた。
気持ち悪くて吐きそうだった。

カーテンもない、家具もない。
外が明るくなって目が覚める。
ある日の朝、音のない私の部屋に、窓の向こうからまな板の音や、食器を洗う音が聞こえることに気づいた。
泣くことも出来ないほどの孤独と恐怖で、体を硬くしている私には、その音が優しく、一瞬体がほぐれるような安らぎを感じる音だった。

朝まで眠れずに居た私は、その音を聞きながら眠りについたこともある。
いつの間にかその音は、何もかも失って親戚からも冷たくあしらわれて、本当に孤独になった私の心の支えになっていった。

時々私は、その音を聞きながら
音の向こう側に、理想のお母さんを思い描いた。
フワッとカールしたセミロングの髪、優しい笑顔、白いエプロン。
膝丈のスカートに柔らかなコットンのブラウス。
窓から差し込む朝陽と、湯気の立つお味噌汁。
私はお椀を両手で持って、ふぅーっと息を吹きかけ、一口すすってニコリとする。
そんな、私の子ども時代とは全く真逆の光景を想像しては、言葉にも出来ない想いを感じていた。あの時私は確かに“生きたい”と思った。

まな板の音の主さんは、一日の始まりに、家族を思いながら台所に向かって、ネギを刻み、お味噌汁をかき混ぜていたことでしょう。
まな板の音は、私には無縁の愛情を感じる優しい音だった。

親になるということ



子どもを産んで、親になるということは、
その瞬間から「命を守り、育む責任」を背負うことだと思う。
特別なことはいらない。
豪華な暮らしも、完璧な教育もなくていい。
ただ、温かいご飯と、安心して寝起きできる場所と、子供が、ここに居て良いんだと思える居場所を作ってほしかった。
それは決して贅沢でも理想論でもなく、本来なら誰もが当たり前に受け取れるはずの日常。
私はわがままを言って親を困らせたことのない、我慢強い子供だった。

親が出来なかったことを責めたいわけじゃない。
正解を突きつけたいわけでもない。
私が求めていたのは、たった一つ
私の居場所。

親になる責任は決して軽くない。
何が正解かはわからないからこそ、正しさを追求するのではなく、子供と共に親も成長してほしい。
子供を通して自分を知り、親自身も自己理解を深めてほしい。
時代が変われば常識も変わる。
だから子育ては難しいけれど、子供と共に学び親として人間として成長しようとする気持ちがあれば乗り越えて行けるはず。

小さな命は、親を信じて生まれて来る。
親は完璧じゃなくていい。
ただ、小さな命と一緒に歩こうと思えること。
それが、きっと“親になる”ということなんだと思う。

良いお母さんになろうとしなくて良い。
共に成長しようという気持ちを持って欲しい。

あれから何十年という年月が過ぎたけど、私はあのまな板の音を忘れたことがない。
夏になるとまな板の音の主に会いたくなる。

どんな人だったの…
朝がとても早かったから、旦那さまのお弁当を作っていたのかもしれない…
あなたが家族の為にご飯を作る音や、食器が触れ合う音が、絶望しかなかった私を生かしてくれました。
ありがとうございました。
どうかお元気でいてください。

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