『毒親と呼ばないで』

親は100%毒でしたか?

毒親ラベリングの“効能”

この記事は約3分で読めます。

※親を毒親とラベリングすることにより、自分にどんなメリットがあるのか?を考えてみました。

但し、本当の意味でメリットになるかどうかは疑問ですが…

1. 自分の不調や生きづらさの“理由”がわかって安心できる

「だから私はこうなんだ」と腑に落ちる感覚。
曖昧だった不調の正体にラベルを貼ることで、心が少し軽くなる。

2. 自己否定から一時的に脱出できる

「私がダメなんじゃなくて、親の育て方のせいだったんだ」と思える。
自分を責め続けてきた人にとって、責任の矛先を外に向けられるのは、一種の救い。

3. 自己理解が深まったような気になれる

“毒親”というキーワードを使うことで、自分の内面を理解できたように錯覚する。
本当は「自分自身と向き合う作業」が必要なのに、それを飛ばしてしまうことも。

4. 他人との比較に対する“言い訳”ができる

「あの人は親に恵まれてたんだ」と思えば、自分がうまくいかない理由が見つかる。
そう思うことで、少しホッとできる気がする。

5.ネガティブな感情に“正当な理由”を与えられる

怒り、悲しみ、恨み…
「私は被害者だった」と思えば、それらの感情を抱えていてもいい理由になる。

6. 自分に優しくしてくれる人が増える

「毒親育ち」という言葉が共感を生みやすい現代では、同情や理解を得やすい。
傷ついた存在として扱ってもらえる安心感。

7. 親に“NO”を突きつける理由になる

これまで親に逆らえなかった人が、「毒親だったから」と思うことでようやく拒否できる。
罪悪感を和らげる“正当化”として機能する。

8. 距離を置くことに罪悪感を抱かなくて済む

「毒親だから仕方ない」と思えば、連絡しない・会わないという選択がしやすくなる。
自分を守る行動が正当化される。

9. “親を許せない自分”を責めずに済む

愛されなかった、理解されなかった過去を思い出すと、どうしても許せない気持ちになる。
でも「毒親だから」と思えば、その気持ちを持っていてもいいんだと思える。

10. 同じような経験を持つ人とつながれる

「わかる」「私もそうだった」
そう言ってもらえることで、孤独が和らぐ。自分だけじゃなかったと知る安心。

11. SNSで共感を得やすい

“毒親”というワードがあることで、発信に共感が集まりやすくなる。
「いいね」「リポスト」されることが、自分の感情を肯定されたように感じられる。

12. 生きづらさを“仕方なかったこと”にできる

過去の失敗や生きにくさを、「育ちのせい」にすることで納得しやすくなる。
努力不足ではないという免罪符。

13. 未来に希望を見出せるように感じる

「私は悪くない」と思えることで、これからは自分を変えていける気がしてくる。
一種の再出発スイッチ。

14. 自分の人生を“取り戻す”感覚が得られる

「親のせいでこうなった」と思えば、そこから自分の手で人生をやり直したいという気持ちが湧く。
リベンジや再構築の原動力になることも。

15. 関係を断ってしまえば“これ以上悩まなくていい”と思える

もう会わない・話さないと決めれば、関係改善の努力をしなくて済む。
頑張らないための理由になる。

16. 「私は被害者だった」と言える安心感

“加害者=親” “被害者=自分” という構図ができれば、誰かに責められる心配が減る。
「私は悪くない」と言える場所があるというのは、それだけで楽になれることがある。

毒親という言葉が広まる中で、
その言葉の“効能”だけを味わって終わってしまうのは、少しもったいない気がしています。

これだけではないと思いますが

ざっくり思いついたままあげてみました。

自分の親を毒親呼ばわりする事によって得られるものは何か?

何のためにラベリングするのか?を今一度自分に問うてみるのも良いかもしれません。

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