子どもは別人格
子育てしながら、ふと気づいたことがある。
「私は親にこうされたから、自分の子どもには絶対にしないようにしている」
そんなふうに、自分の過去をもとに“反面教師的な子育て”をしている。
それが“正しい子育て”だと、どこかで思っていた。
でも、ある日ふと気づいてしまった。
それって…
目の前の子どもをちゃんと見てるって言えるかな?
たとえば私は、「お友達を呼んで誕生会をしてもらった記憶がない」
「だから、子どもには毎年ちゃんと仲の良い友達呼んで祝ってあげたい」って、思ってた。
それって一見すると素敵なことのようだけど、よく考えたら、
それは、“子どもが望んでいること”じゃなくて、私が“して欲しかったこと”だったんだよね。
誕生日会が嬉しいかどうかは、子どもの性格によるよね。
目立ちたくない子もいれば、イベントに興味のない子もいる。
でも私は、「私はこうされたから、子どもにはこうしてあげたい」っていう気持ちで、
“自分の過去の埋め合わせ”をするように子育てしてたの。
それに気づいたとき、ちょっと背筋がゾッとした。
子どもは、私の人生を癒すために生まれてきたんじゃないし、子どもは私のコピーじゃない。
当然、私の人生の続きを歩く存在でもない。
なのに、どこかで私は、「自分が親にされなかったこと」を「自分の子どもにしてあげる」ことで、自分を満たそうとしていた。
子どもを観ているようで、実は自分の内側を投影していただけなんだ。
過去の自分の物語と、今、目の前にいる子供は、違う時代に生まれ、私とは全く別の人格を持った一人の人間なのに、「私は愛されなかったから」「私は放っておかれて育ったから」
その物語を自分の子育てに持ち込んでしまったとき、目の前の子どもが見えなくなる。
自分が親にしてもらったから子供にも・・・
自分が親にしてもらえなかったから子供には・・・
これは、どちらも一見正論に聞こえるので、誰も疑問を抱かない。
むしろ、立派な親御さんだと思われることが多いと思う。
でも、本当にそうかな?
🍀最後に
これは多くの親が気づかない“すれ違い”かもしれない。
この記事を読んで、「ドキッとした」という人もいるかもしれない。
誰だって、最初は自分を軸に子育てを始める。
でも、どこかで気づいていけたらいいと思う。
「これは本当に、この子のため?」
「この子が望んだこと?」
すぐに答えは出ないかもしれないけど、そう問い直せることは、とても大切だと思う。
  
  
  
  
