「毒親」という言葉が日本で広がり始めた時、胸の奥がザワつきました。
ネグレクトで親の愛を知らない上に、父親に何度も私の人生をぶっ壊されて生きて来た私には、この言葉は救いではなく、私自身をさらに傷付ける言葉だったからです。
でもこの言葉があるお陰で、救われる人もいるだろうな…それもわかります。
でも「毒親」って言った瞬間、
自分の親は“毒100%”だったと、親を全否定することになりませんか?
そこが、どうしても気になってしまうんです。
親は選べないとは言え、毒親の元に生まれてしまった自分の運命を呪いたくなってしまいます。
★これは虐待を肯定する話じゃない
最初に、ちゃんと線を引いておきます。
ここで出てくる「毒」や「薬」というのは、日常の中で誰にでも起こるちょっとした”摩擦や不完全さ”のことです。
暴力や虐待は犯罪ですし、人格を踏みにじるような行為は、ただの有害行為、正当化するつもりは一切ありません。
☠️「毒親」という言葉の便利さと怖さ
確かにこの言葉は便利です。
「ああ、自分がしんどかったのはあの環境のせいなんだ」と整理できるし、自分を責めなくて済むきっかけにもなります。
でも、その便利さの裏で、見えなくなるものもあります。
「毒親」というラベルを貼った瞬間、それ以外の場面が全部見えなくなってしまう。
親からもらった何か、助けられた瞬間、笑い合った日…そういうものまで、存在しなかったようになる。
親は、毒にも薬にもなる☠️💊
私は、そもそも親とは、「毒にも薬にもなる存在」だと思っています。
無菌室みたいな安全すぎる環境で育ったら、一見幸せそうだけど、実は外の世界の理不尽さに耐えられないかもしれない。
世の中には色んな人がいるのが現実ですからね、親に大事にされたかどうかは関係なく、不条理な現実に見舞われることもあるのです。
言うまでもなく、度を越えた”毒”は”有害”でしかないけど、ちょっとした毒は免疫を作る。
そんな風にして、私たちは現実を生き抜く力を身に付けていくんじゃないでしょうか。
🧑🧑🧒親だけじゃない、子どももまた
ここまで話してきて、ふと思うんです。
じゃあ逆に、子どもは100%善で“薬”な存在なのか?って。
「親ガチャ」という言葉はよく聞きますが、実は「子ガチャ」だってあるよね。
もちろん、子どもが悪いという話ではありませんよ。
でも、人には生まれつきの気質や特性があって、相性の良し悪しもある。
時には、子どもの行動や存在が、親にとっての“毒”になることもあります。
それは親子どちらかが「悪い人」だからではなく、お互いが影響を与え合う関係だからこそ起こることなんです。
🧑🧑🧒🧒グラデーションで見るということ
親子の関係って、本当は白か黒かじゃなくてグラデーション。
善い部分と悪い部分、助けられた時と傷つけられた時。その両方が同じ人、同じ家の中に同居している。
「毒親」という言葉を使わないで考えてみると、親を少し違う角度から見られることがあります。
もしかしたら、ずっと一色だと思っていたキャンバスに、別の色が混ざっているのに気づくかもしれません。
💗最後に。
親を100%悪だと決めつけてしまうと、自分の視野まで狭くなる。
かといって、すべてを許す必要もない。
大切なのは、白か黒、0か100じゃなくて、グラデーションで親を捉えること。
親子関係だけじゃなく、この世界はグラデーションでできている。
そう捉える方が、過去と自分のこれから、両方に対して、そして自分を取り巻く人間関係においても、少し余裕が出来て優しくなれる気がします。
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