親は100%毒だったのか…

毒親認定の先にあったものと気づきと悟り

私もかつて、自分の親のことを、ああいう人の事を「毒親」というんだな…
と、妙に納得したことがあります。
親を毒だったと認定することで、私は一瞬解放されたような気分になりました。
でも、その解放感は一瞬で終わりました。

その後に押し寄せたのは、新たに生まれた別の苦しみ。
貧しくて、学校で必要な物でも、なかなか買ってもらえず、私が嘘を言って欲しがってると疑うような母親。
父親の借金によって、何回もぶっ壊された私の人生。
親としての最低限のことも出来ないのに子供を産む、こんな親の元に生まれてくるしかなかった自分の運命を呪う感情がわいてきたのです。

私は毒から生まれ、中途半端に毒に育てられ、挙句に捨てられた。毒に捨てられる私って何なん?
親が毒なら、そんな人間から生まれて来た私は、もしかして毒そのもの?
もしくは、毒以下?

こんな私は、毒に染まった毒以外の何者でもないと思い始めて、私なんて幸せになる資格はないと、自ら幸せになる道を放棄して生きるようになっていったのでした。

子どもにとって親は、選べない上に、どうにも動かし難い存在です。
その存在に毒だったとラベリングして、丸ごと否定すると言うことは、同時に確実に自分自身を否定することにも繋がっていたのです。

振り返ると私の思考や感情は、いつも“主語が親”でした。
【親に捨てられた私 】【親に愛されなかった私】【親の居ない私】
そこに、【親は毒親だった】がプラスされた。

すべてが「親ありき」の視点。
肝心な「自分はどう生きたいのか」が、置き去りになっていました。
完全に親に支配された人生でした。
裏を返せば、それだけ親に愛されたかったという事です。
認めたくないけど、これは認めざるを得ない事実です。

そりゃそうでしょう!
親は子どもが安心して暮らせる居場所を与えることは当然のことですし、
条件付きでない、無償の愛を与えられることで、子どもは自尊心を持つ事が出来るのですから、それを与えられなかった子どもの人生は、生きづらいに決まっています。お金は無くてもせめて、優しい温もりや笑顔があれば…

でもね、気づいたんです。
「私の親は毒親」この言葉を持っている限り、私はずっと親と戦うモードのままだということに。
そして、その間は決して、自分自身を本当には癒せないということに。

だから私は、「毒親」という言葉を手放すと決めたんです。
親を許すためじゃなく、自分を守るために。
手放そうと決めた瞬間から、私の中で常に主語だった親との距離が自然と遠のき、苦しみも少しずつ遠のいていきました。

そして、ようやく私は「自分を癒すこと」「自分を大切にすること」にだけ集中できるようになったのです。

親と戦うことは意味がありません。
そして、親には親の人生があります。親が育って来た家庭や環境、時代背景。

「毒親」この一言では解決し切れない連鎖が隠れています。
これを責めたところで、私が幸せを感じることは何一つ無いのです。

私は親には恵まれなかったけど、この負の連鎖を自分の代で断ち切る為に生まれて来たと、そして、その連鎖を断ち切ることに成功したと思っています。
理由は、私の子供たちが、迷う事なく自分の幸せになる道を選び取って生きているからです。

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