「自分らしく」「個を大切に」「ありのままの自分」
いつからかしらないけど、私達の中に根付いているこの言葉。
たしかに、素敵な響きだ。
だけど、その言葉の使い方、ちょっと都合よすぎない?
🪞「ありのまま」って、都合のいい言葉だよね
「これがありのままの私だから!」
……う、うん、それで全部通ると思ってるなら、一回冷静になろうか。
まず聞きたい。
あなたの“ありのまま”が受け入れられると思う、その根拠どこ? 笑
“ありのまま”って、本来は他人に理解を求めるための言葉ではない。
自分が自分を受け入れるためのプロセスであって、
「私は私!」って言えば、相手が何も言えなくなる空気を作るための呪文じゃない。
むしろ、それを盾にして他人を黙らせようとする時点で、
それ、もう「我のまま」だよね。
💭「個を尊重する」は、“他人を切り捨ててもいい”の意味じゃない
“個を大切に”がいつのまにか、“自分さえ良ければいい”にすり替わってると感じる。
自由を語る人ほど、他人の自由には驚くほど不寛容。
「私には私の生き方がある」
うん、わかる。
でもそれ、親子関係にも同じことが言えるよね?
「親がうるさいから距離を置く」「もう関わらない」それも一つの選択。
でもその裏で、“相手にも自由がある”って視点は、どこかに置き忘れてない?
自分が尊重されたいなら、親だって一人の人間として尊重されるべき。
“親だから分かって当然”なんて思うのも、
“子どもだから聞けて当然”と思うのも、どちらも傲慢。
尊重って、同意でも服従でもなく、共存の知恵なんだと思う。
🤝人は一人で生きていけない。だから共感を求める
どんなに強がっても、人は一人では生きていけない。
だからこそ、共感を求めてるんだよね?
「個を尊重する」って、突き詰めれば
“違う存在どうしが共に生きる”ための姿勢なんだと思う。
それを忘れて、“自分らしさ”だけを押し通せば、
結局、誰も寄り添えない孤独に行き着く。
🌤️終わりに
「自分を大切に」も「ありのままで」も、
本来は、人と比べずに自分を責めないための言葉だった。
自由って、自分が好きに生きることだけじゃなく、
相手が選ぶ自由も尊重して認めること。
ここを忘れてる人が多すぎる。
親子であっても、そこに上下はない。
お互いに、個として、自由として、尊重し合えること。
それがきっと、時代がどれだけ変わっても失っちゃいけない
人としての“思い遣りであり優しさ”なんじゃないかな。
  
  
  
  
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