『毒親と呼ばないで』

親は100%毒でしたか?

『毒親育ちからの卒業とは何か』

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このページは、私が“毒親育ち”という言葉に向き合い、長い時間をかけてたどり着いた、一つの答えです。
親との関係をどう終わらせるかではなく、自分の中でどう昇華させていくか。
その視点から、「卒業」という言葉の意味を考えました。

自分は「毒親育ち」だったと思っている人にとって
親からどう離れるのか、親子関係をどう終わらせるのかを考えている方が多いと思います。

親と距離を取る人、イライラしながら関係性を保っている人、憎しみを持ちながら絶縁を決心する人。
それぞれが思う、卒業の形があることでしょう。

けれど、私は少し違う考えを持っています。
私が思う「卒業」とは、親との関係を断ち切ることではなく、もっとシンプルです。

それは、自分が自分に貼った“毒親育ち”というラベルを剥がすことです。

🎓ラベルに縛られないということ

「毒親育ち」という言葉には力があります。
自分の辛さや生きづらさを説明してくれる便利な言葉でもあります。
けれど同時に、そのラベルに自分自身を閉じ込めてしまう危うさもあります。
私はこれを、言葉に魂を乗っ取られた状態だと思っています。

誰から貼られた訳でもない、自分が自分に“毒親育ち”とラベリングして、
「私は毒親育ちだ」と言い続ける限り、
自分の人生を“被害者”としてしか語れなくなる。

だから、私にとっての卒業は「親からの解放」ではなく、
自ら貼ったラベルからの解放なのです。

🎓親に矛先を向けなかった私

私は「毒親育ち」というラベルを、自分には貼りませんでした。
親にも“毒親”のラベリングはしませんでした。
理由は、親にも私にも毒になる部分はあったかもしれないけど、全てが毒ではないからです。

ただ、「私の親はこんな人だった」と事実を受け止めながら、
「なぜ私はこんな人生を与えられたんだろう」と深く悩み苦しみました。
「何で?」「何で私が?」という想いは、ずっと抱えていました。

多くの人が親に矛先を向けて楽になる道を選ぶかもしれません。
でも私は初めから、親を糾弾する方向には向かわなかった。
なぜなら、親を責めたところで、私の人生が幸せに舵を切るとは思えなかったからです。

不幸な状況から自分を幸せにしてあげるためには、
親を責めている暇も、そんな心の余裕もなかったということです。

🎓卒業とは「自分と向き合うこと」

ラベルを剥がすということは、
✍️自分はどう在りたいのか?
✍️自分はこれからどう生きたいのか?
✍️親から受けた影響をどう手放していくのか?

そんな問いを自分に投げかけ、徹底的に自分と向き合い理解していくこと。
そこに「親への感情」は一切関係ありません。

「毒親育ち」という言葉で自分を縛らず、一人の「個」として自立して生きること。
主語を『毒親育ちの私』から、『私』にすること。
それこそが、私の思う“卒業”なのです。