『毒親と呼ばないで』

親は100%毒でしたか?

母と娘という鏡-同性だからこそ難しい親子関係

この記事は約3分で読めます。

はじめに/母娘の関係はなぜこんなにも極端なのか

不思議なもので、母と娘の関係って本当に極端です。
いくつになっても姉妹のように仲のいい人もいれば、口もきかないほど冷え切っている人もいる。
同性だからこそ理解できることもあるけれど、同性だからこそ毛嫌いしてしまうこともある。

母と娘という関係には、愛と反発・同一化と拒絶という
相反する感情が同時に存在しているように思います。


母は「自分の延長線」として娘を見てしまう

母親にとって娘は、どこか“もう一人の自分”のような存在。
本当はそんな風に思うことは、良くない事かもしれないけど、無意識に自分の人生を重ねてしまう。

だからつい、思い入れも期待も強くなります。
自分ができなかったことを託したり、自分の価値観を押し付けてしまったり。

そして娘は、その“見えない期待”に気づくと、そこから逃れようとして反発する。
この繰り返しが、母娘関係を複雑にしていくのかもしれません。

母の「愛」は時に重くなる

心配や助言も、受け取る側からすれば「干渉」に感じます。
けれど、母がそうしてしまうのは、悪意ではなく“恐れ”から。

時代が変わっても、女性は、どんな男性と結婚するか、どんな家庭を築くかによって人生が大きく違ってしまう。
母親自身がその現実を知っているからこそ、娘には、出来れば苦労をさせたくないと願うものです。

「変な人に騙されないように!」「自分を大事にしなさい」
そう言葉が強くなるのも、理想が高くなるのも、すべて“娘を守りたい”という思いの裏返し。

そのうえ女性は、子どもを産めば人生も体も大きく変わることを知っている母は、
その変化が、娘にとって出来るだけ穏やかで、負担が少ないようにと願っています。
母の心配は、愛情と同じくらい“人生の記憶”に根ざしているのです

娘は「母のようにはなりたくない」と思いながら…

成長する過程で娘は、「母のようにはなりたくない」と思う瞬間を迎えます。
でも皮肉なことに、大人になるほど母に似ていく自分に気づく。
そのギャップがまた葛藤を生むことがあります。

反発の裏にある“理解されたい”気持ち

本当は嫌っているわけではない。
「わかってほしい」「認めてほしい」という思いが裏返っているだけ。
母もまた、同じ気持ちを抱えているのかもしれません。


「理想の母」という幻想が母娘を苦しめる

社会は“母親像”とか、”母性本能”いう理想や幻想を女性に押し付けてきました。
母親は常に優しく、包み込み、犠牲的であるべき・・・。
その幻想の中で、母も娘も無意識に苦しんでいます。

母は「いい母であろう」と頑張りすぎ、娘は「そんな母に比べて自分は…」と責めてしまう。
それぞれが“正しい母娘像”に縛られてしまうのです。

理解するとは、許すことではなく「人として見ること」

母を理解するというのは、過去を美化することでも、すべてを許すことでもありません。
ただ一人の「女性」として、母を見直してみると、そこには、母もまた一人の人間として
迷い、傷つき、精一杯生きてきたという現実があります。
それを知ることが、母娘関係を少しずつ解きほぐしていくのかもしれません。

終わりに…/鏡を曇らせるのは、心の距離

母と娘は、鏡のような関係。
近すぎると自分が見えなくなり、遠すぎると相手が見えなくなる。

大切なのは、鏡を割らないこと。
曇ったら磨けばいい。
見たくない部分を映してくれるのも、本当はその鏡が“愛のメッセージ”だから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました