母親は二度、痛みを味わう。
一度目は、命を迎えるときの体の痛み。
二度目は、子どもの独立を見送るときの心の痛み。
毎日帰ってくるのが当たり前で、その当たり前がずっと続くように思っていた。
何なら、早く一人になりたいと…。
命を迎える痛み
出産の時、何を考えていたかは覚えていない。
たぶん自分の事なんて考えてなかった。
何時間も続く陣痛の痛みを必死に受け入れて、やっと聞こえてきた泣き声に、放心状態になったことだけは覚えている。
母になる痛みは、想像を絶する痛みだったことは言うまでもないが、産後の体の痛みもかなりキツかった。
身体のあちこちが痛んで、眠剤を飲んでやっと眠った。
子どもという、かけがえのない存在は、体の痛みを伴い、親になる幸せと責任を同時に運んで来た。
子どもの成長が生きる希望
あの頃、毎日をどんな風に過ごしていたか、ほとんど記憶がない。
どんな食事を作り、子どもに何を食へさせ、どんな事を考えていたのか?覚えていない。
私は遅めの朝食、トースターから取り出して、お皿に乗せたトーストが、気づくとお皿から消えていた。
え?私、トースト食べたっけ?
あれは、忙しいと言うのだろうか?
たぶん、きちんと睡眠が取れていないから、記憶が定着しなかったのだと思われる。
目の前の子どもと向き合う日々、子どもはすごいスピードで成長していく。
手を繋がなくても歩けるようになり、公園を走り回り、自転車に乗り、電車に乗って、一人で遠くに出かけて行くようになった。
母の役割は、少しずつ変化していった。
その変化を受け入れるだけで精一杯だったけど、この子がどんな成長して、どんな人になって行くのか想像することは、私に生きる力を与えてくれた。
母としての評価
良い親、良いお母さんて、どんな人だろう?
怒った日もあれば、泣いた夜もあった。
それでも食卓にはご飯を並べ、明日の準備をしてお弁当を作って送り出した。
誰にも褒められないし、何かあると責められるけど、コツコツと役割を果たして来た。
何があっても子どもの成長に、ちゃんと向き合ってきた母親は、それだけで立派だと思う。
巣立ち…手放す痛み
とうとうその日が来た。
巣立つ準備をしている間は、まだ楽しかった。
子どもを送って、新幹線に乗って帰る途中
どっと寂しさが襲って来て、胸が痛かった。
この日が来ることは知っていた。
少しづつ近づいていることも知っていた。
でも、その日が突然やって来たかのような感覚を覚えた。
あれは何なのか…
それまでは、現実逃避していたのかもしれない。
感じないように、考えないように
そして、巣立ちを祝う気持ちで、出来るだけ明るく振る舞って、無理していたのかもしれない。
だから、とうとうその日が来た時に、現実がいきなり目の前に現れたような痛みを感じたのかもしれない。
そして、その痛みは、産後の痛みと同じように
暫く続いた。
役割は終わった。でも人生はまだ終わらない
母親は二度痛みを味わう。
だけど、その痛みはどちらも愛から発生するもの。
子どもを迎え入れた痛みと、子どもを見送る痛み。
いってらっしゃいとおかえりを繰り返してきた日々。
その間に、長いようで短かい、一つの人生の物語があった。
今、静けさの中で胸が痛むのは、全身全霊でその物語を生きた証し。
その痛みは宝物。
どうか痛みを傷だと思わないで、
その痛みは、深い愛情の証し。
人生は、まだ終わらない。

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