親は100%毒でしたか?

親の権利って何だろう

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子どもが権利を主張するなかで、
親の権利って、いったい何なんだろうと考えた。

子どもの権利はたくさんある。
守られる権利、学ぶ権利、自由に意見を言う権利。
けれど親は、責任と義務ばかりを背負って、「黙って育てること」が当然とされている。

報酬はゼロ、休みなし。
子どもが何か問題を起こしたら親の責任を問われる。
特に母親は、常に世間から厳しい目を向けられていることを、ひしひしと感じる。

感謝される保障も、子育てが終わってからの保障もない。
親が子育てを放棄したら逮捕されるが、子どもが年老いた親を切り捨てても、罪に問われることはない。
そして、どんなに頑張っても「毒親」と呼ばれるリスクもある。
・・・親って、なんて切ない存在なんだろう。

親の権利は「義務」としてしか扱われない

  • 親権という言葉はあっても、それは“子どもの利益を守るため”の権利。
  • 親自身のための権利は、社会の中ではほとんど語られない。
  • 「親は無償で愛するもの」という理想が、人間らしさを奪っている。

子どもの権利ばかりが強調される社会

  • 「自由」「尊重」「選択」が強調される一方で、親の声は抑えられる。
  • 親が「疲れた」と言えば愚痴だと思われ、助けを求めると、面倒な手続きがあり、「寂しい」と言えば、早く子離れして自分の世界を作った方が良いと言われる。
  • 親の感情は常に“親なんだから当たり前”とされてしまう。

親だって人間であるという、当たり前のこと

  • 親にも「休む権利」「間違う権利」「感謝される権利」がある。
  • 親が完璧でなくてもいい、という社会のほうが健全なはず。
  • 権利とは支配のことではなく、「一人の人として尊重されること」。

「毒親」と呼ぶ前に、見えなくなった現実を見つめたい

  • 子どもを傷つける親もいれば、
     必死に守ろうとしてうまくいかなかった親もいる。
  • 一方的なラベルの下で、親の声はかき消されていく。
  • 「毒」も「愛」も、人の中に同時にあるもの。

🩶

親の権利は、たぶん“特別な何か”じゃない。
「一人の人間として尊重されること」それだけでいい。

子どもの幸せを願いながら、自分の心をすり減らしてきた親たちが、子育てが終わったら、子どもから反撃される時代に違和感を感じるのは、私だけだろうか。
世の中は声の大きい人が、何故か正義だと思われる。

親を毒親だと被害者ポジションで声を上げるのは“子どもの立場”だった人たち。
子どもの権利を必死で守って生きて来た親たちが、その権利を盾に責められる。
けれど、親たちは決して声を上げない。
親には権利が与えられていないから、黙っているしかないのかもしれない。

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