💠 はじめに/当たり前のように使われる「毒親」という言葉
いつの間にか、メディアやメディアや専門家までもが、何の疑問もなく「毒親」という言葉を使うようになり
社会に定着してしまいました。
検索すれば、新聞記事やカウンセラーの解説までがこの言葉をタイトルに掲げています。
まるで、それが正式な診断名かのように。
けれど私は、その光景に強い違和感を覚えます。
いつから「毒」という言葉が、こんなにも軽く使われるようになったのでしょう。
🩶 「毒」と「害」は違う
毒になる親の原書『Toxic Parents』の意味は、本来「害になる親」。
“毒”ではなく、“害”です。
毒という言葉には、「触れてはいけない」「排除すべき」という強烈な拒絶のニュアンスがあります。
たとえば「毒のあるキノコ」と聞けば、私たちはそれを即座に捨てます。
命を守るために。
けれど今、その“毒”という言葉を、自分を命がけで産み、24時間面倒を見て、
離乳食を作り、病気のときは看病し、危険から守ってくれた親に向けて放つ。
そのことに、胸の痛みを覚えずにはいられません。
🌿 親という存在は、ただの「関係」ではない
どんな親にも、優れた面もあれば未熟な面もあります。
ときには言葉がきつく、親も子も、医師の疎通が思い通りにならないこともあるでしょう。
でも、だからといって、それを「毒」と切り捨ててしまった瞬間に、
親がどれほどの思いで自分を育ててくれたか、その背景を、まるごと否定してしまうことになる。
親は、子どもの成長のすべてを受け止めながら、喜びも怒りも悲しみも、混ざり合ったまま子育てを終えていきます。
特に母と娘の関係は、同性ゆえの厳しさや反発が生まれるもの。
でもそれも、人が大人になる過程のひとつなんですよね。
🔸 「合わない親」と「毒親」は違う
親と性格が合わない。
価値観が違う。
そう感じることは誰にでもあります。
それは当然のことなのです。
親が育ってきた時代、子ども自身が育つ時代、子どもが自立して社会に出て行く時代。
時代が違えば価値観も違う、常識まで変わってしまうことさえあります。
それぞれ、全く背景が違うのです。
そんな親子が、価値観や人生観が同じでいることの方が難しいです。
でも、そんな全く違う時代に育った人達が、親子という絆で繋がっているのです。
親を「毒親」とラベリングするのと、「この人とは距離をとった方がいい」と、自分で判断するのとは、
まったく次元が違う。
前者は相手を存在ごと否定する言葉であり、
後者は自分の選択を尊重する姿勢です。
“毒親”という言葉を使うことで、
本来なら「人と人」として見つめ直すことができた関係を、
最初から「終わり」にしてしまっていないだろうか…。
🕊️ おわりに/言葉の重みを取り戻すために
「毒」という言葉には、本来、命を遠ざける力があります。
その言葉を、命を与えてくれた人に向けるとき、
私たちは何か大切なものを切り捨ててしまっているかもしれません。
親を理解することは、許すことでも、肯定することでもない。
ただ、「人として認めること」
それだけで、関係はもう一度、呼吸を始めるのだと思います。
  
  
  
  
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